あなたはイエスを信頼しました。次は何をしますか?
クリスチャンになったあと、どうすればいい?
イエスに従うことは、関係の始まりであって、チェックリストの終わりではありません。これからも学び、成長し、疑問を持ち、ときにはつまずくでしょう。そのたびにイエスのもとへ戻ってきてください。
すぐに完璧になることではなく、成長を期待しましょう
クリスチャンでも失敗することはあります。罪を犯したときは、イエスから逃げないでください。罪を告白し、イエスの赦しを受け、そこから学び、また従い続けましょう。
信者のバプテスマを受けてイエスに従う
イエスを信頼して救われたあと、バプテスマはイエスに従う美しい次の一歩です。イエスご自身もバプテスマを受け、弟子たちに、人々を弟子とし、バプテスマを授けるよう命じられました。信者のバプテスマは、救いを得るためのものでも、神の愛にふさわしくなるためのものでもありません。それは、すでに心にある信仰を人々の前で表す方法であり、「わたしはイエスのものです。イエスに従いたいのです」という告白です。
可能であれば、聖書を信じる信頼できる教会や、長くイエスに従ってきた信頼できるクリスチャンに、バプテスマとその意味について相談してみましょう。
ほかのクリスチャンを見つけて、互いに支え合う
イエスに従うことは、本来、たった一人でするものではありません。安全で可能なときには、聖書を信じる教会や、イエスを愛し聖書を大切にする信頼できるクリスチャンを探しましょう。互いに祈り、励まし合い、一緒に学び、つらい日には助け合い、だれかが落ち込んでいるときには神の真理を思い出させ合いましょう。
まだ学んでいる途中でも、ほかの人を励ますことができるかもしれません。クリスチャンの仲間と過ごすのは、すべてが分かっているからではなく、イエスと一緒に歩むためです。
霊の戦いを知る
聖書は、信じる者が誘惑や霊的な攻撃に出会うと教えています。けれども、恐れて生きる必要はありません。神の武具を学び、真理、信仰、聖書、祈り、そして平和の福音の上にしっかり立ちましょう。
霊の戦いについて学ぶ →失敗したときは、イエスのもとへ戻りましょう
イエスとの関係は、苦しんでいないふりをすることの上に成り立つものではありません。イエスに話し続け、み言葉を読み続け、従うことを学び続けましょう。
次の簡単な一歩
よくある質問
こんな疑問が浮かぶかもしれません。続けていくための短い答えをご紹介します。
クリスチャンになったあと、何をすればいいですか?
祈り、聖書を読み、イエスについて学び、イエスの教えを一歩ずつ生きはじめましょう。
バプテスマ(洗礼)は受けるべきですか?
信者のバプテスマは、イエスを信頼したことを人々の前で表す方法です。救いを得るためのものではなく、心で信じていることを目に見える形で表すものです。
ほかのクリスチャンは必要ですか?
はい。信者の仲間は、あなたと一緒に祈り、教え、励まし、イエスに従い続けるのを助けてくれます。その生き方があなたをイエスへと導いてくれる人を選びましょう。
祈りの日記、または「神さまガラスびん」をつける
簡単なノート、あるいはメモを入れる特別なびん(「神さまガラスびん」)があると、何を祈ったかを思い出せます。神が人生の中でどう働いてくださったかにも気づけるようになります。
祈りの願いと日付を書きましょう。答えに気づいたら、何が起きたか、いつだったかを書きとめます。月に一度ほど、書いた願いを見返してみましょう。どの祈りが答えられたか、どれをまだ待っているか、思いがけない形で答えが来たかどうかに気づくでしょう。
覚えておいてください。答えは「はい」「いいえ」「まだ」、あるいは願ったものとは違うものかもしれません。祈りは、望むものをすべて手に入れることではありません。神と語り合い、神を信頼することを学び、神の心づかいと助けに気づくことです。
今日、神をどこで感じたかを書く
祈りの願いと一緒に、一日のうちに神に気づいたことを一つか二つ書きましょう。日の出、山、花、動物、雨、星など、神が造られたものの美しさかもしれません。ちょうど今の自分の状況に語りかけてくれた聖書の言葉かもしれません。ちょうどよい時にだれかが励ましてくれたことかもしれません。
ときには、思いがけないことが起きて、神が守ってくださったのか、導いてくださったのかと思うことがあります。事故にあうところだったのかもしれません。遅刻しそうでいらいらしたけれど、あとから、もっと早く着いていたら思わぬ出来事に巻き込まれていたかもしれないと分かったのかもしれません。あるいは、あまりに不思議で、奇跡としか言いようのないことが起きたのかもしれません。
そうした出来事も書きとめましょう。偶然のすべてが奇跡だと決める必要も、神が何をしておられたか正確に分かる必要もありません。分からないこともあります。「これが神さまだったのかは分からないけれど、立ち止まって感謝したくなった」と書けばよいのです。
また、その日に心に響いた聖書の言葉と、なぜ大切だったかを一文で書きましょう。数か月後、数年後には、この日記が、祈り、神が通らせてくださったつらい時期、思いがけない答え、守られた出来事、励ましてくれた聖書の言葉、そして神の造られたものが神の近さを思い出させてくれた普通の日々の、美しい記録になるかもしれません。
目的は、あちこちに不安げにしるしを探すことではありません。ただ立ち止まり、心を向け、感謝し、とても不思議な出来事の中にも、ごく普通の日々の中にも、神のよさに気づけるようになることです。