隔たりから、救いへ。
なぜイエスが必要なのですか?
このテーマが重く感じられるなら、メッセージの中心を思い出してください。神は、私たちを自分から引き離されたままにはされませんでした。聖書が罪と裁きを説明するのは、神の救いの深さを理解するためです。イエスが来られたのは、神が私たちを愛し、ご自分のもとへ連れ戻す道を開かれたからです。
あなたは招かれているのであって、強制されているのではありません。イエスは救いを差し出しておられますが、信じることを強制はされません。
聖書の答えは、あなたが十分に宗教的になる、あるいは十分に完璧になる必要がある、ということではありません。私たちのだれも、神との隔たりを自分では修復できない、ということです。
罪は、私たちが自分では直せない隔たりをつくります
神は聖いおかたです。聖書は、私たちがみな罪を犯し、神の栄光に届いていないと教えています。すべての命令を破る必要はありません。たった一つの罪でも赦しが必要であり、現実には、私たちはみな何度も失敗します。
良い行い、教会に通うこと、お金、約束、もっと頑張ることでは、すでに起きたことを消すことはできません。
罪の報酬は死です
報酬とは、働いて得たもの、あるいは支払われるべきものです。聖書は、罪には現実の結果、つまり死があると述べています。ヨハネの黙示録は、火の池での最後の裁きを「第二の死」とよんでいます。
イエスは私たちの身代わりになられました
神は、人々をご自分のもとへ戻る道のないままにはされませんでした。イエス・キリストは罪のない人生を生き、自ら進んで私たちのためにいのちをささげられました。私たちが払えなかった罰を引き受け、十字架で死に、よみがえられました。
だから私たちにはイエスが必要なのです。イエスを通して、神は、赦し、神との平和、そして神とともに永遠に生きるいのちを、賜物として差し出しておられます。
よくある質問
こんな疑問が浮かぶかもしれません。続けていくための短い答えをご紹介します。
なぜイエスが必要なのですか?
私たちはみな罪を犯し、自分を完璧にすることはできません。イエスは、私たちが赦され、神のもとに連れ戻されるように、十字架で身代わりになり、よみがえられました。
良い人でいれば、神のもとへ行けますか?
聖書は、救いはイエスを通した賜物であって、十分に良いことをして得る報酬ではないと教えています。
イエスは私たちを何から救ってくださったのですか?
イエスは、罪の赦しを差し出し、私たちを神との関係に連れ戻し、永遠のいのちの希望を与えてくださいます。
先に完璧になる必要はありません
正直な心でイエスのもとへ来てください。あなたの人生について、本当のことをイエスに話してください。イエスがあなたのためにしてくださったことを信頼してください。救われることは、十分に良くなれた人への報酬ではありません。神を必要としていると知っている人への、神の賜物です。